28歳のとき、私は「私だけのもの」ではなくなった。
2017年の夏、長女を出産した。
2日間の陣痛に耐え、痛みに寝れずご飯も食べれず。2日目の朝に促進剤を打っても、2時間後に子宮口が5cmまでしか開かなかった。
あと半分ですねーと医者にいわれ、「もう…無理っす…助けてほしいっす…」と心がポキッと折れた瞬間をいまでも覚えている。
緊急帝王切開になり、長女が生まれた。
「あーやっと生まれた。よかった」
あの日から、私は私である以上に「母親」になった。
終わりのないタスクの連続
母親に課されているものは、見えないほど小さな小さなタスクが多い。
朝起きる。子どもたちを起こす。
タオルを取り換え、自分の歯磨きと子どもたちの歯磨きを済ませる。
朝ごはんを用意し、学校や保育園の準備を手伝い。
送迎後、休む暇もなく掃除、洗濯。
昼食なんてものは納豆ごはんで済ませ、習いごとの送り迎え。
気が付いたら夕方で、怒涛の夕食・お風呂・寝かしつけ。
これは「基本パッケージ」だ。これに
仕事をしているママなら「仕事」が上乗せされ
SNSを頑張っているママなら「発信活動」がトッピングされる。
それを毎日だ。
いや、ちょっと立ち止まってよく考えてほしい。
母親、やばくね?
なんなん、このマルチタスク。
どこに仕事と発信活動を挟む隙間があったんだ?と、思わず天を仰いでしまうぐらいの過密スケジュールである。
これをこなしているのが「私」である。
母親としての、妻としての私。
でも、本当にそうなんだろうか。
これを毎日こなしていく過ごし方が「私らしい」ということなんだろうか。
そう疑問に感じたのが、次女を生んで1年後だった。
そのとき、私は会社を休む決断をする。
お金以上に大切だった「私らしさ」
会社を休んではじまった新しい生活は、正直楽しいだけではなかった。
1日10時間以上働いても、月10万円ぐらいしか収益があがらなかった。
13万円の税金は払えなかったし、カードの支払いも止まった。
金銭面で言えば、おそらく人生で一番苦しかった時期のように思う。
でも、そこには「母親でも、妻でもない私」が存在していた。
それが本当に心地よかった。
子どもを産んで母親になってから、はじめて「私らしい私」というものを見つけられた気がする。
ママたちのモヤモヤの正体
1958年に出版された『人間の条件』という本で、ハンナ・アーレントは人間の営みを3つに分けた。
① 労働(Labor)
生命を維持するための、終わりのない反復行為。食べる、洗う、片付ける、また食べる、また洗う。やってもやっても消えていく、循環するもの。アーレントはこれを「自然の必要性に縛られた営み」と呼んでいる。
② 仕事(Work)
何か「物」を作り出す営み。終わりがあって、成果が残る。職人が椅子を作る、本を書く、家を建てる。世界に「持続するもの」を加える営み。
③ 活動(Action)
他者に向かって、自分が「何者であるか」を言葉と行為で表現する営み。政治、対話、創造的な発信のこと。
これだけ見ると、正直なんのことか分かるようで分からないのが哲学である(笑)
これを、私なりにママの日常に置き換えてみた。
① ママの労働(Labor)
ずっと終わらない。おむつを替える、ご飯を作る、洗濯物をたたむ、掃除機をかける。次の日になれば、またご飯を作り、洗濯物をたたみ、掃除機をかける。終わらない、終わらない、ずっと繰り返される反復行為。自分だけでなく、子どもたちの「生命を維持するための循環に閉じ込められている」状態がずっと続いている。やった先からまた生み出されるから、達成感がない。
あー、すでに怖い。怖いが、先に進もう。
② ママの仕事(Work)
ママの仕事、世界に持続するなにか「物」を作り出すことは、実は奪われやすい。結婚、出産でキャリアを中断せざるを得なかったり、時短勤務で自分のスキルを使う時間が減ったり。「私は社会のために貢献している」という感覚が薄れていく。
あれ…どうしてだろう急に涙が…いや、だが最後まで続けていこう。
③ ママの活動(Action)
永遠に終わらない「ママの労働」、中断されてしまった「ママの仕事」の結果、ママの活動は“ほぼゼロ”になる。「あなたは誰ですか?」と聞かれても「〇〇ちゃんのママ」「△△の奥さん」になってしまう。自分の名前で、自分の言葉で、世界に向かって何かを発する時間がなくなる。
「自分の名前で、自分の言葉で、世界に向かって何かを発する時間がなくなる。」
あ、ここだ。
ここが、あのとき私はつらかったんだ。
終わらない家事。社会から断絶されている生活。
思いっきり仕事がしたいのにできない。いつも制限がかかっている感覚。
母である私を常に求められ、母であることを前提に仕事が進んでいく。
なんなんだ、これ。
ぶくぶくぶく…と窒息しそうである。
アーレントのこの3つの人間の営みの中で、③の活動を「人間にとって最も尊い行為」とした。彼女が恐れたのは、近代社会で人間が「労働する動物」に成り下がること。
ママたちはママになったときに、なかば強制的にこの「最も人間らしい、尊い行為」を失い、「労働する動物」に追い込まれてしまうのではないか。
だからこそ「私はいったい、何のために毎日を過ごしているのか」に答えられなくなってしまう。
これが、ママたちが漠然と抱えているモヤモヤの正体なのではないか?
だから私は長女を生んだ直後、次女が生まれて2人になったとき。会社を休む前後、苦しかったのかもしれない。
そしてそのあと発信活動をベースに、母でも妻でもない私で活動できる場所を見つけて、モヤモヤが晴れたのかもしれない。
アーレントのこの「活動的生」を知ったとき、そう感じたのである。
※追記
らふぁえる@一人会社 さんからこのようなご指摘をいただいた。
これはまさにご指摘の通りで、この解釈に至るまでの解釈と、この本の全体感をすっ飛ばして書いています!だから分かりやすいかなと思う反面、アーレントの背景が解釈から抜けてるのは事実です。そりゃそうだよな、と思ったノートでした。ありがとうございました✨
ここに追記しようかなーと思ったのですが、本題からはズレちゃうのでやめておきます☺️また別の機会に書きたい🔥
活動を諦めなくていい時代がやっときた
私が運営しているAIらぼとクレアカはママさんが多い。
そしてみんな、とってもアクティブでキラキラ楽しそうである。
だが、実は話を聞いていくとやっぱり産後、私と同じようにモヤモヤしていた時期があったことのある人の方が多い。
そんなママたちが、いまは生き生きと自分のやりたいことに夢中になっている。
なぜか?
みんな、やっとSNSを使って世界や他者に向かって「私は〇〇で、こういうことを届けたいと思っている」という活動(Action)ができているからだろう。
当然、みんなママだから時間はない。
でも、私のコミュニティメンバーはAIが使える。
AIを使ってゴリゴリに発信し、コンテンツを生み出し、価値提供している。
時間がない中でも、労働を続け、仕事を止めず、そして活動を諦めなくてもいい時代がついにやってきた。それがAIだ。
だから私は、1人でも多くのママたちにAIの可能性を伝えたくて、この活動を続けている。
そしてノンフィクションでいい場所ができた
ただ、SNSの問題があとひとつあった。
それが「つくられたフィクション」であること。
発信を届けようとすると、どうしてもアルゴリズムを意識しなければならない。
結果、もちろんまったくの自分でないことはないけれど、ある程度「つくられた自分」で活動することが求められた。
これもある意味、「私」の一部である。
Instagramの、Xの、Threadsの中の私。
ただ、ぶっちゃけ疲れてる人いないですか?私は多少、疲れていたよ(笑)
そこに彗星のごとく現れたのが、Substackだ。
Substackを開くと、たくさんのママたちがいる。
Instagramにも、Threadsにも、Xにももちろんいる。
だが、Substackのママたちはなんだかこう、楽しそうな気がしている。
これはママたちが「自分の言葉で、自分はこういうことが伝えたいんだ!」というのを自由に世界に向けて発信するーつまり「活動」的に時間を過ごしているからではないだろうか。
母親の私も、私。妻である私も、私。
でも私はそれだけじゃない。
母でも妻でもない「私はこう考えている」を好きなように発信できる場所を求めていたのではないか。
それがやっと見つかった。だから、楽しい。
いままでだったらこんなことも書けなかった。
これを書いたところで、誰にも届かないからだ。
「りこ…お前は自由だ」と、私の中の進撃の巨人が出てきてしまうような新しい感覚で毎日を過ごしている。
モヤモヤの正体は「活動不足」
タイトルに戻る。
ママたちのモヤモヤの正体は、ハンナ・アーレントの言葉を借りるなら「活動不足」だ。
だから全ママたちよ、いまこそ「活動的」になろう。
アーレントはああいったけど(言ったのは私かもしれない←)。
私はママたちの労働も仕事も、尊いものだと感じている。
それは、自分よりも大切な存在のために毎日奮闘している証だからだ。
子どもたちが元気よく、病気をせず、やりたいことができるように。
自分のことは後回しで家を整え、食事を作り、子どもたちの予定に付き合う。
それを前提に仕事を調整し、毎日を過ごしている。
そんな毎日が、尊くないわけないだろう。
みんなすごいよ、まじで。本当に。天才だわ、私たち。
だからさ、その毎日がもっと、彩り豊かになるように。
妻でもない、母親でもない、あなただけの「活動」を見つけていこうよ。
それが、ここならできるよ。大丈夫。
ちゃんとあなたの言葉を、あなたが伝えたいことを受け取ってくれる人がいるから。
全ママたちよ、活動的であれ。
そして「私はいったい誰だ?」を問い続けることが人生だ。
その問いと答えを、これからも言葉に乗せていきたいと思う。
最後に、私が敬愛してやまない尾崎豊さんの『誕生』から一説をお届けする。
Hey baby 忘れないで 強く生きることの意味を
Hey baby 探している 答えなんかないかもしれない
何ひとつ確かなものなど見つからなくても
心の弱さに負けないように立ち向かうんだ
さあ走り続けよう 叫び続けよう 求め続けよう
この果てしない 生きる輝きを
ー 尾崎豊『誕生』










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りこさん、今朝読んで、朝から泣きました。泣かせないでくださいよ。ほんと、女性って大変だし、ママって仕事は辛いけど、言語化するとそのとおりで。でも、私たちにしかできないことだし、ママになれずにモヤっとしてる女性もいるし。子供って会いたい、欲しい!って願ってみんなが出会える魂ではないから、大切にしないとと思いつつ、頑張りすぎて、自分がわからなくなっている迷走ママです。実は、少し活動的になれる出来事があったので、ここから私も動いていこうと思います!発信いつも刺さりまくってます。ありがとう、りこさん。
「あれっ私ってなにが好きだったっけ?」って産後ふと思うことが時々ありました。ある日突然始まった24時間年中無休のママ業。目の前の命と生活を守ることに必死で日々が過ぎていき、気がつけば自分の中の「私」という存在は影がうすーくなってました。だけどやっぱり自分の人生を存分に生きて、色んなことに挑戦・成長している姿こそ、子どもへのプレゼントだよなと思う今日この頃です。素敵な記事をありがとうございます。