ずっと、お母さんになりたかった。
長女が今日、9歳になった。
母になって、やっと9年。
この9年間はずっと、母としてのあり方と「私」としてのあり方を探し続けていた気がする。
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当然だが、子どもが生まれたら制約ができる。
妊娠、産後は大好きなお酒が飲めなかった。
外出も一苦労。
気軽に外に出れなくなった。
買い物はまず、子どものもの優先。
着たい服より、汚れてもいい着れる服を選ぶようになり。
10cmヒールからスニーカーになった。
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いま思えばずっとそれが続くわけではないのだけれど。
特に産後半年は、お母さんになれた幸せを感じながら「ずっとこんな日が続くのだろうか」と軽く絶望もしていた。
私は、仕事が好きだったから。
母である私と、母になる前にずっと仕事をしていた私。
後者を捨てきれなかったのである。
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だから、7ヵ月で長女を保育園に入れて復帰した。
そのあとの日々は、正直あまり覚えていない(笑)
本当に記憶にないのである。
5:00 起床、夕食の下ごしらえ、自分の準備
6:30 長女を起こす
7:30 保育園に送っていき、1時間電車に揺られる
9:00 仕事
17:30 退社
17:41 電車に飛び乗る
18:25 延長料金発生直前にお迎え
19:00 夕食
20:00 お風呂
21:00 就寝
21:30 起きて洗濯・食器洗い・残った仕事を片付ける
こんな毎日を送っていた。
いまの生活からすると考えられない。
よくやっていたなと思う。
エライ。エラすぎる、私。
でも当時はこれしか正解がないと思ってた。
子どもを育てるためには、働かないといけない。
働くためには、保育園にいれないといけない。
保育園に入れるためには、フルタイムで申請しないと通らない。
世の中の働いているママたちは、みんなもれなく全員こうやって生きてる。
だったらやって当たり前。
みんなできてるなら、私もできる。
そう思っていたのだ。
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長女だけのときは、まだそれでもなんとかなった。
世界が一変したのは、3年後。
次女が、生まれたとき。
子どもが2人になったら、大変さも2倍。
と、これを読んでいるあなたは思うだろうか。
いいや、違う。
1が2になったとき、育児と仕事の両立難易度が10倍に跳ね上がった。
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次女を1歳で保育園に入れ、平日はほぼワンオペで2人姉妹を見ていたのだが。
まずシンプルに、手が足りない。
まだまだ手がかかる長女にご飯をあげながら、1人で座り続けることもできない次女にご飯をあげる。
ママ―という長女の声とともに、次女のおむつを変えなければいけない。
長女の髪の毛を洗いながら、次女が大丈夫か常に目で見ている。
そして寝かしつけたあと、終わらなかった仕事を家でやる。
大変だった。
この時もほとんど記憶がない(笑)
でもそのときも、やって当たり前だと思っていた。
それしか選択肢がないと思っていたから。
選択肢をなくしていたのは自分だったと、気づくのはもう少しあとである。
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そんな生活が続いたとき、先に音を上げたのは体だった。
夜中に突然、ふと涙がこぼれる。
ずっと体が重い。
あるとき、ささいなことで子どもたちに怒鳴り散らしてしまった。
いままでそんな大きな声で叱ったことなど、なかったのに。
寝ている子どもたちをみながら、考える。
「これが、私がなりたかったお母さんなのかな」
いや、違う。
こうじゃないはず。
子どもたちのために、働いているはずなのに。
子どもたちにこんな風に声を荒げる自分になりたかったわけじゃない。
そのとき、会社を休むことを決めた。
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そこからの3年間はあっという間だった。
フリーランスとして家で仕事をするというのも、想像以上に大変だった。
なんなら、会社員時代より働いていたw
でも売上は会社員時代の1/3。
それでも、家で働けるだけでこんなに自分のこころとからだがラクになるものなのかと。
やっと子どもたちとの時間を大切にできるようになった。
そして、AIと出会う。
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実はいまでも、母としての私と「私がなりたい私」の両立がうまくいっているのかは分からない。
母としての私の、正解が分からないからだ。
それは私が決めるものではなく、子どもたちが決めることだから。
それでも、毎日大好きといってくれる子どもたちを見ていたら、少しはお母さんというものができているのかなという気もする。
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子どもがいると、制約がある。
行きたい場所に行けない。
やりたいことができない。
着たいものが着れない。
自分がなりたい、自分になれない。
確かに、そういう面がないとは言わない。
子どもが小さいときは、物理的に無理なことはある。
でも、その時間は永遠に続くわけじゃないことを知った。
制約があると決めつけていたのは、自分だったということに。
行きたい場所に、子どもたちごと連れていけるようになった。
やりたいことは、子どもたちがやりたいことをしている間にできるようになった。
着たいものは年齢も体型も気にせずに、思いっきり着れるようになった。
自分がなりたい自分を、母だって目指していいんだと。
選択肢がないと思っていたのは、自分だった。
そんな私に、選択肢があることを教えてくれたのがAIなのである。
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だから、私もいま昔の私と同じように。
母としての自分と、こうありたいと願う自分の両方を叶えたいと、悩んでいるママたちに。
AIってこんなことができるんだよ。
AIで時間ってこんな風に生み出せるんだよ。
AI使ったらこんな可能性があるよ。
それを伝えていきたい。
きっと、その経験はあなたの生き方の選択肢を拡げてくれる。
その気持ちだけで、毎日を過ごしている。
来年の夏には、子どもを連れて各地で子ども参加OKのAIセミナーを開催するのがいまの夢である。
いまの私なら、叶えられる気がする。
そして、この場に来てくれたママたちにAIを使えるようになってほしい。
そのために、今日もClaude codeをぶん回すのである。
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9歳になった長女へ。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたが生まれてきてくれたから、私はお母さんになれました。
大好きだよ。



